野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

高齢者と援助される心

先日独り暮らしの叔母の様子見行ってきました。
帰りがけ、叔母が交通費にと言って封筒に1万円を入れてくれました。
何回かに一度、叔母はこうして封筒を差し出します。

叔母はこちらに負担をかけていることが心苦しいと思っているようです。
確かに負担はありますが、行くと喜ぶので、叔母の所に行くのはこちらの勝手です。
でも、来るのは嬉しいけれど、負担になってはいけないからと、気遣う気持ちもわかります。
ありがたくいただいています。
受け取ったお金は交通費や持参する昼ご飯や雑費に利用しています。

 

高齢になるとできないことが増えてきます。
そうなると人の援助が必要になります。
私も間違いなくそうなります。
そうなった時、人の援助を平らな気持ちで受けることができるでしょうか。
援助されるばかりなのはもどかしさと同時に、自尊心の問題もあるのじゃないかと思い気にかかります。

 

昔ヘルパーの資格を取った時、実習で、高齢者の方が、自動車に乗るにも手助けをしてもらわなくてはいけない状態で「つらいなぁ」と思わず言っていた様子を高齢者になってから時々思い出します。
自分の体が自由にならないということもありますが、人の助けを借りる辛さもあるとその時感じました。
自尊心はだいじですから。

 

私の場合、援助はありがたいけれど、受けるばかりの援助では、気持ちは切なくなりそうです。
できることが少なくなればなるほど、人に依存していきます。
そうなったら、たぶん人に対し「ありがとう」とか「すみません」という言葉を多発しているでしょう。
「ありがとう」という言葉は基本的にはよい言葉です。
でも、一方的に「ありがとう」ばかり言わなくてはならない生活はどうでしょう。
「ありがとう」という言葉が嫌いになりそうです。

 

 

これって、自分の不合理なとらわれということはわかっています。
「人は役に立たねばならない」とか「人生はギブ アンド テイク」みたいな考え方が根底にあります。
だから、受けるばかりの援助はせつない。
何かの役に立たない自分は認められないのです。
こういう考え方をする必要はないだろうということは、頭ではわかっているのですがね。
今のところは、こういうビリーフから自由にはなれません。

 


でも、こういう考えから自由にならないと、高齢期は辛そうです。


平らな心で援助なしではやっていけない自分を受け入れられる。
今後の大きな目標になりそうです。
でも、どうしたらいいかさっぱりわかりません。
心は難しいです。