暖かくなって庭は花盛りです。
年をとってから目につくようになった言葉にフレイルというのがあります。
フレイルとは、厚生労働省の保険事業ガイドラインによると、
「加齢に伴う予備能力低下のため、ストレスに対する回復力が低下した状態を表している。要介護状態に至る前段階として位置づけられるが、身体的脆弱性のみならず、精神・心理的脆弱性や社会的脆弱性などの多面的な問題を抱えやすく、自立障害や死亡を含む健康被害を招きやすいハイリスク状態を意味する」
のだそうです。
何を言いたいのか、よくわかりません。
健康長寿ネットによると、
「わかりやすく言えば、加齢により心身が老い衰えた状態のことです」
とありますが、こちらも抽象的過ぎてよくわかりません。
健康な状態と介護の必要な状態の中間ということらしいですが、やっぱりよくわかりません。
私は、心身がポンコツになってメンテナンスが必要な状態だろうなと定義しています。
このフレイルという言葉、歯医者に行けば「オーラルフレイルへの対応は大事です」というポスターが目につくところにあり、眼医者に行けば「アイフレイルの対応は大事です」とポスターが目につくところに貼ってあります。
以前は気にしていなかったのですが、最近は目にとまるようになりました。
なんといっても、自分の身体の老化は感じています。
自分に関係ないと思っていると、みていても意識化されないけれど、自分に関係あればちゃんと意識化されます。
加齢による身体の脆弱化は仕方がないことです。
老いて衰えていくのは自然の流れです。
でも、そこはまだ「おばはん」にまで進化していない「オバサン」です。
自分はまだ「できる」(何が?)と思っています。
「自分はそんなに年寄りじゃないわい」とも思っています。
心身のことはメンテナンスで何とかしようと頑張ってしまいます。
まあ、世間でもフレイルは
「適切な介入・指導により、生活機能の維持向上が可能」といって、メンテナンスを奨励しています。
ネットで検索して、健康管理を頑張ってしまいます。
バランスよい食生活、適度な睡眠、適度な運動ってね。
それは、いいことなんでしょう。
そうした頑張りが強迫観念みたいになるとちょっと怖いですがね。
頑張りがきかなくなる時は来ると思うけれど、それでも頑張ろうとして頑張れない自分を許せなくなったら嫌です。
衰えたら衰えてそれを受け入れる気持ち、諦観という境地も必要と思うのです。
私がそこに行きつけるか。
とりあえずは、もう少し今の状態を保っていたいです。
諦観の境地は少し先の話であってほしいとは思っています。