野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

コミュニケーションに苦手意識があるので、振り返ってみました。

私はコミュニケーションが苦手だなと思ってきました。

苦手と言ってもいろいろなタイプがあります。
初対面の人と、うまく会話をすることができない。
親しい人意外と、うまく会話をすることができない。
集団の中にいると、うまく会話ができない。
それらの複合系などなど・・

原因にも色々あります。
不安感が強く緊張しやすい。
相手の反応など周りが気になりやすい。
普段の会話量が少なく、会話レパートリーが少ない。
人と接する機会が少なく、距離感がわからない。
相手の言うことを理解するのが苦手。
空気が読めない。
などなど・・

 

私の場合、ほとんどのケースが当てはまるのですが、しいていうならば、タイプ的には、「親しい人以外は会話が弾まない」で原因的には「相手に興味をもたない」あたりです。

 

コミュニケーションは、言葉を伝え合うことですが、そのためには相手のいうことばかりでなく、相手をを理解しようとすることが必要です。
コミュニケーションには会話内容を決めるための他者理解と、自分の意志や感情を伝える自己説明のスキルが必要です。

 

ですから、仕事に関してのコミュニケーションは別に問題はなかったのです。
相手でなく、仕事内容を理解していればいいし、話すスキルもテンプレートみたいのがありますから。

 

プライベートな部分や職場でも宴会などでのコミュニケーションが苦手でした。
興味のないこと、興味のない人に当たり障りのない話をしていくというのが、どうにも苦手でした。

それで、宴会など親しい人の側にくっついたり、隅っこに行ったりしていました。
くじ引きの席決めなんて最低の気分。
話をしないわけにはいかないし、ぐったり疲れました。


今考えると、気軽に構えていればいいだけだったんですけど。
相手に話をさせればいいだけだったんですよね。
でも、そのためには相手が話しだす話題を探す、つまり相手に興味を持って、相手の話の引き出しを開ければよかったのです。

 

でも、私は、自分が興味を持てることしか関心がありません。
面倒くさがりなので、日常で、相手に興味を持って理解しようとは思いませんでした。
でもコミュニケーションにおいては他者理解が必要なので、そのための努力はしなければいけなかったのです。
別に深く理解する必要はないから。
噂話のレベルでいいから。
その為、話の接ぎ穂もなく、「どうしよう、困ったな」という状態になり、会話が続かなくなって気まずくなったのです。

 

今考えると、「コミュニケーション、もっとうまくできたかも」と思います。
相手に興味を持って相手のペースに合わせる意識を持っていたら、会話は楽だったかもしれません。
その気になればできたはずです。
だって、仕事ではしていたもの。

 

それで、ずっと「なんてコミュニケーション能力がないのだろう」とイジイジしていたのがバカみたいって思えてきました。