伝承されてきたむかし話を、むかし話のルールに基づいて再構成する再話という活動をしています。
現代では口承で受け継いできた人は限られ、研究者等により採取されたテキストをもとにしています。
テキストになっているものでも、日本昔話集成のように口承をそのまま起こしたものが一番望ましいのです。
翻案されたようなものは、使えません。
静岡県ですと、静岡県伝説昔話集という戦前に女子師範の生徒が採取したテキストがあります。
でも、めぼしいのは再話されてしまっています。
なにか、めぼしいお話は無いだろうか。
どうせやるなら自分の住んでいる地域のお話を再話したい。
そんなことをグループで話し合っているときに、メンバーの一人が戦後ですがすぐくらいから、地域の世話話や昔話など収集している方と巡り会いました。
もしかすると、いい原話と巡り会えるかもしれません。
資料を見せていただき、お話をうかがいたいとお願いすると快諾いただけました。
ところが何やかや都合がつかず何か月が経過してしまいました。
昨日学習会の折に連絡を取りました。
その方は亡くなったということです。
グズグズしていたためにせっかくのチャンスを逃がしてしまいました。
いくらお元気に見えても90代と高齢ですからグズグズすべきではなかったのです。
「チャンスの神様には前髪しかない」
チャンスの神様に出会ったらすぐつかまなくては、あとからとらえることはできないのですね。
「まだ何も整理していないので、資料はのこっているとおもいます。ご自分たちで探していただけるなら、どうぞ」とご遺族の方に言っていただけたので、お言葉に甘えようということになりました。
今度はチャンスを逃がさないように素早く動きましょう。