野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

高齢者という意識。そしてアイデンティティ。

久しぶりに妹とあって、いろいろ食べて、おしゃべりしました。
今朝は胃がもたれています。
昔なら一日たてば消化されて平気だったのですが。

妹が言っていました。
「高齢者なんだけどね、自分が高齢者とおもえないんだよね。まだできるって感じがしてさ」
私もそんな感じです。
でも、こういう消化しきれない自分を発見すると、「やっぱり年かぁ」と思います。

 

高齢者って、年をとった人。
長年の経年劣化により、特に体がポンコツになった人。
体の衰えにより、他の部分も衰えた人というイメージです。

 

それなら私は立派な高齢者なんですが、まだできる事も多く、仕事に対する気力はなくなりましたが、他の気力は残っている。
そんな前期高齢者である私は、自分が高齢者であること(年寄りであること)を普段意識しません。
でも、「高齢者でしょ」と言われれば、それは認めます。

 

自分が高齢者だとはっきり自覚するターニングポイントはなかったような気がします。
少しずつ、いろいろなことが起こり、気づき、高齢者であることを受け入れつつある状態です。

 

初めて「高齢者?」と意識したのは、介護保険証が届いた時。
「そうか、そんな年なんだ」って自分が高齢者と呼ばれる年なんだと気が付きました。

 

仕事を辞めようと思ったのは、自分の気力がなくなっているのに気づいたときです。
リタイアして介護しているときは、自分の年など考えません。

 

介護も終わり、空の巣症候群状態を経て、ブログを始めたころから、ヘパーデン結節ができたり、膝をいためたり、本格的に自分の体がポンコツになっているのを意識し、年をとったなと実感しました。


体の変化は意識もかえます。
色々なことに気がつきます。
健康について気になるようになり、若い時には何ということなく出来ていたことができなくなったことにも気づきます。
そんな時に年を意識します。

いろいろな事で年を意識するようになり、少しずつ意識もライフスタイルも変わってきています。
その結果として高齢者であることが、そのうち自分の中で納得できるような気がします。


高齢者というのは、高齢を意識するターニングポイントがあるのではなく、だんだんそうなるものなのだろうなと感じています。
その少しづつの変化の中で、自分のアイデンティティが少しづつ変化し、結果として高齢期のアイデンティティも形成されていくような気がします。
少なくとも、私は。

私はまだあがいている最中なんでしょう。
こう考えると、高齢期のアイデンティティはじっくり熟成させていけばいいかなと思えます。
あせらない、あせらない。