野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

大量生産品と手仕事品

昨日は金継ぎのお稽古でした。
作業をしながら先輩たちの話を聞くともなく聞いていました。

先輩はセミプロというか、人から頼まれて金継ぎを引き受けています。
先日、頼まれて仕事をしたところ、代金を請求したら
「そんなにするの?これだけのことで」と言われたそうで、いたくおかんむりでした。
「どれだけ手間がかかるとおもっているのよ」って。

まあ、先に代金を決めておかなかった先輩も悪いけれど、先輩の怒りはわかります。
金継ぎ、手間と時間がかかります。
破片を接着して固化するのに2週間程度でしょうか。
欠けをうめて固化させて、ひびを補修して固化させます。
余分な漆を研ぎます。
それからようやく加飾です。
1か月くらいはみておいたほうがいいです。
小さいカケも見逃さないように神経を使います。
加飾もどうやったら一番いいのか頭を絞ります。

 

でも、依頼主の気持ちも何となくわかります。
金継ぎなんて出来上がりしか知らないでしょうから。
「接着剤(漆)でくっつけて、くっつけた線を金色に塗るだけでしょう」くらいの感覚でしょう。
で、「なんかよさそうだから頼んでみた」
モノづくりにかかわらない人は、モノづくりに関する認識が浅いのです。


それはわかるのだけれど、言われた方は一点一点手をかけて、どうやったら一番良くなるか一生懸命考えながら作業しているのだからたまりません。

認識のギャップはなやましいです。
大量生産で安価なものが手に入るようになってから、手をかけて作られたものの価値がわからなくなっている人が多くなっているような気がします。



大量生産により安価なものが流通し、誰でも手に入るようになったのは素晴らしいと思います。
でも、一点一点手をかけれ作られたものの価値が評価されないのは、さみしいなと思います。


大量生産品と手仕事品、どちらがいいと言われると困ります。
大量生産品にもいい品物多いですし、むしろ高品質のものがあります。
スマートで便利なものが多いです。
効率的に暮らしていきたい場合は、こちらの方がいいなと思うこともあります。

漆器など美しいけれど、扱いが面倒でレンジは使えないし、忙しい時は使いたいものではありません。

 

だから、大量生産品より手仕事品の方が価値があると考えているわけではありません。

 

でも、手仕事は作り手が、楽しんだり苦しんだり、考えたり工夫したりした作家の様子が作品を通して伝わるようなそんな感覚がします。
そんな感覚が自分の感覚とフィットした時、何となく愛着が出てくる。
そんな気持ちがします。

これからの人生、どう暮らしたいのかによって、選ぶ商品も変わってきそうです。
ゆっくり、安らぎを持って暮らしたい私は、誰かの手仕事を楽しみながら暮らすのもいいなと思うのです。