野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

ある高齢者の「面倒くさい」の心理

最近、ちょっとしたことで「面倒くさいな」とつぶやく私がいます。

 

日本語の勉強しなければならないのに「面倒くさいな」
カーテンが汚れてきたので洗濯したほうがいいのに「面倒くさいな」
電子マネーを取り入れることにしたのに、手続きをしようとすると「面倒くさいな」

 

普段生活をしている時、事柄や感情をいちいち気にしてはいません。
気にする理由がありませんから。

ならばどうしていちいち「面倒くさい」と思ってしまうのでしょう。

一般的に、「面倒くさい」と思う時は

1,楽しみを見いだせない
2,苦手なことをやる
3,やりがいがわからない
4,長い時間がかかる
5,やりたくないのに、やらねばならない
6,つかれている

ような時だそうです。

実際は「面倒くさい」と感じるのは、人により違いますし、同じ人でも体調や起源により違います。
一般的に「面倒くさい」と思う時はこんな時という内容は何となくそうかもと思いますが、自分の場合はどうなんでしょう。

 

日本語の勉強をしなければならないのに「面倒くさいな」と思うのは当然かなと思うのです。
それなりの時間がかかり、簡単な作業じゃないでしょうからこれは年齢を問わずありがちです。

 

カーテンを洗うのは、高い所のカーテンを外し、洗い、またつけるという作業を考えると、高齢化すると、今まで以上に身体的に疲れる作業です。
高齢化すると、身体を動かす作業がきつくなりますから、「面倒くさい」と思うようになることが増えるでしょうね。


電子マネーが「面倒くさい」と感じたのはちょっと問題かなと思いました。
「何すればいいかわからない」
「できるかな」
という考えが後ろにあるのです。

これは苦手なことをやらなきゃいけない状況です。
自分がやれるかどうか心もとなくて、面倒くさいといってしまいました。

 

最近こういう「面倒くさい」という言葉がふえました。
ほんの些細なことです。
ルフレジやバーコード注文、ネット予約など。

 

つい最近もサッカーの試合をバーコードを使い予約しました。
やればなんということはないのですが、やったことのないことは試行錯誤です。
精神的なエネルギーがいります。
手数としてはむしろ省略化されていますが、わからないことは苦手なのです。
それをやっていくのは「面倒くさい」のです。


時代が変わり、システムが変わっていきます。
いろいろ機械化されていきます。
否応なく社会に適応していく必要があります。
対面なら聞きながらできていたことが、機械あいてだとわからないことを聞きながらやるということができません。

 

子供の頃から、PCやスマホに慣れていて、感覚的に使える若い人たちと異なり、高齢者にはPCやスマホの使いこなしは難しい人が多いのではないでしょうか。
私に関しては、ますます「面倒くさい」が増えそうです。
どこまでついていけるのか、ちょっと不安です。