野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

腹が立ったりした時の私の対処法

昨日ツレが自分の健康に無頓着なことに腹をたてました。
幸い疲れ目とドライアイということで、やっぱりねと思っただけですみました。


心配しているのに、本人が目に悪いことに対し対応しないので、腹がたったんだと思っていたのですが本当の所は、実は自分が不安だったからでしょう。


怒りにしろ、悲しみにしろ、強い感情が沸き起こるのは、自分に原因があることが多いのです。

私は論理よりも感情で動くタイプですし、気が小さいです。
感情的な人間です。
40歳過ぎくらいにそれを自覚してから、ちょっとした感情の動きはいちいち考えていたらやっていられません。
すぐにわすれますし、無視しますが、つらくなるような感情に関しては、出来るだけ対処するようにしてきました。

 

ネットで検索したら、怒りに対するマネジメントをするアンガーマネジメントなんていうスキルもあるようですね。

こうあってほしいという期待が裏切られると、怒りを感じる。
怒りは感情の中で二次的感情であり、その裏側の一次感情(悲しい、不安など)を検証したり、自分の中の「・・すべき」という思考の検証をすることを中心に、様々なスキルがあるようです。

 


私の対処策は、認知行動療法という精神療法に基づいています。
認知行動療法は、環境、感情、認知、行動は互いに影響しあっているというのが前提です。
環境、感情、認知、行動のうち、どれか一つが変わると、他も変化してきます。
感情よりも認知やっ行動の方が取り扱いやすいだろうということで、もっぱら不合理な信念を扱うことがおおいですが、状況によりどの要素から取り扱ってもかまいません。

 

最初に、自分の状況を検証します。
どんな状況の時に、どんな感情がうまれ、どんなことを考え、どんな行動をとったか。

 

簡単にしてみましょうか。
ツレが目の調子が悪いから眼医者に行ってくるといいながら形態をみている状況の時
怒りがわいてきた(感情)
何やってんだこいつとか、健康に悪いことしてるんじゃないよとか、年なんだからもう少し気を使えとか思い(認知)
ムカッとした(行動)
特に、どんな出来事(刺激)の時に何がおこったかは大切です。

 


次に、どの部分を扱うかをきめ、検討しました。
昨日は、その状況の時、感情について扱っていました。
もう少し、その状態で感じたことを詳細に考えてみたのです。
すると、怒りだけでなく、不安を感じていたことが明確になりました。
それを自覚した時、「なんだ、不安だったんだ」と気持ちが軽くなりました。
怒りの奥に隠れていた本当の感情に気づいただけです。
これだけで気分は変わり、全体もかわります。

 

人は、自分を守りたいので、感情もごまかすことがあります。
それを知って「なんだ」と思うことは、私に関しては有効で、仕事をしていたときは役に立ってくれました。
クライアントに理不尽なことを言われて後で怒りまくっていたときに、ふと、「ああ、私は怖かったんだ」と気づくことなどね。


状況を変えるのもアリです。

 

行動も変えられます。
ムカッとしたとき、息をととのえるとか、問題を棚おいて好きなことに没頭するとかいう一時的なやり方もあります。
行動分析をして、自分の行動変容を促すようなやり方もありますが、本格的にはできません。なんちゃって行動分析ならしますが、その程度でも役に立ちます。
フォーカシングという精神療法の技法をつかうこともあります。

 


誤った認知(不合理な信念)の検討は最も一般的です。
自分の認知のどの部分を扱うかをきめ、それを裏付ける根拠や反証をもとに認知を正していきます。
ただ、自分で認知のゆがみに気づくのは難しいので、根拠のない決めつけや極端な一般化でないか、情緒的な理由付けでないかなどいくつかの指標があります。

 


私は、感情と行動へのアプローチが多いです。
ちょっとしたことなら、これでしのげます。



自分で手に負えない時は、泣きながら布団をかぶって寝ちゃいます(^^;)