野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

ミニマリストとは遠い暮らしです。

チビの頃、私の育った家はそれほどモノが多くはなかった。
洋服は、4人家族で、洋服箪笥と整理箪笥があれば事足りたし、電化製品だってそうはない。
うちにテレビが入ったのは小学校の時だ。
洋服だって、既製服は少ないし、高価だった。
エアコン?あるわきゃないでしょ。
ミニマルが当たり前だったわけだ。
周りはみんなそんなものだ。

ところが、消費経済がどんどん進み、どんどんモノがふえていった。
声だけのラジオから、画像の見える白黒テレビ、色のついたカラーテレビと情報源も進化していき、そういう進化をあこがれとともに受け入れてきた。
私たちの時代は、新しいモノができると、ワクワクして、それが欲しいと思えたんじゃないかな。

で、今は、モノに対するワクワク感が、少なくなってきているような感じがする。
それで、モノを欲しがらない人が増えているのかもしれない。
そういう人たちが、ミニマリストと呼ばれる暮らし方を選択しているのかもしれない。

 

ところで、ミニマリストってどんな人だっけ。
一般的にミニマリストと聞いて思い浮かべるのは、「極限まで無駄を省いた生活をしている人たち」
これはスッキリして格好よく見えるけれど、私には無理だ。
家になくて必要になったらその都度買いに行けばいいって、都会のようにインフラが整っているからできることだし。


でも、調べてみると、ミニマリストの一般的定義は、
「自分にとって、本当に必要なモノだけを残し、ほかのものを排除することで、不用なモノにかかわる時間やストレスを減らし、より豊かな生活を目指す人」

これは納得できる。
ただ、どんなモノが必要で、どんなモノが不用かは、人によって違う。
少ないモノでも不自由を感じず、快適に暮らせる人を、ミニマリストというのだろう。
なんだ、ミニマリストって、なるものじゃなく、その人の特性なんじゃないか。


ただ、少ないものにして暮らしてみないと、不自由を感じず快適に暮らせる感性を持っているかどうかはわからない。
「不用なモノにかかわる時間やストレスを減らせる」のはいいことだし、やってみる価値はありそうだ。


断捨離という言葉は、もはや、流行というより、定着してきている。
私も、思い出したように、断捨離をせねばと思い、かなり捨てている。
だが、私の場合は、シンプルに暮らすためというより、整理整頓をして、探し回る時間を省略化したいがための断捨離だ。

 

私は、モノにあこがれて育った世代だ。
デザインとしてのミニマリズムは好きだが、暮らしとなるとちょっと違う。
好きなモノに囲まれていたい。
そして、好きなモノが多い。
「少ないモノで不自由を感じず」というところで失格だろう。
ミニマリスト的な感性は、たぶん持っていない。
介護や仕事のプレッシャーがない今は、気楽に楽しく暮らせてもいる。
整理整頓だけはしなくちゃですが。

 
それでも、もし私が死んだら、遺品整理が大変かもと思うと、少し減らさなきゃいけないかなと思うこともある。
できるだけ遅くなってほしいと思うが、施設に入ることになったら、それこそ必要最小限しか持っていけないし。

自分なりに不用なものは、処分していこう。
後は、業者に処分してもらうためのお金をとっておこうかな。