野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

365日の集積は無理だけれど

今まで頭でっかちで過ごしてきたので、手仕事というものに縁がありませんでした。
いつからか自分でものを作るということに興味がわいてきて、リタイアを機会にやってみようと思い立ちました。
布遊びもその一つです。
やってみると、縫物は集中している時、何となくいい気分になってきて楽しい物でした。

 

ちょこちょこやっているのですが、いかんせん技術がありません。
ところが、出来ないことだらけだし、縫い目はきたないしガッカリすることも多いです。

そんな時、ある方のブログをよんで、力づけられました。

 

hapo-mina.hatenablog.com

hapo-mina.hatenablog.com

 

ご本人の言わんとすることとはズレているのでしょう。
でも、私は勝手に解釈しました。

 

そうだよね。
毎日の集積があれば、何かは起こる。
マイルールをきめて、毎日何かを制作し続けよう。
そしたら技術もだけど、何かがみえてくるかもしれない。

 

実際のところ、365日続けるのは自信がありません。
旅行が好きですから、その間は無理です。
しかし、300日くらいはできるんじゃないかな。



1年後の(多少は技術のついた)自分をめざして、ガンバルンバ。

 

 

今年の初夏の羽織もの 道行の袂を切ってつかっています。

5月3日、真っ青な空が広がっています。
浜松まつりの凧あげは10時からです。浜の方はにぎやかなことでしょう。

ここ何日は涼しい日が続き、今朝がたもヒンヤリしていました。
でも、昼になれば温度は上がることでしょう。
季節の変わり目は温度差が大きくて、羽織ものが活躍します。
以前にも愛用の羽織ものについて書いたことがありますが、今年は家では
↓ を愛用しています。



一つは割烹着。
友人がプレゼントしてくれました。
割烹着は初めて使用ですが、らくちんだし機能的で家事や趣味の作業をするときには汚れ除けという意味でもちょうどいいのです。

もう一つは、道行の袂を切って筒袖にして使っています。
汚れ仕事をしないときに愛用しています。
絹地の着物はふうわりとして、暖かさとヒンヤリがうまいこと調整され心地いいのです。

今までの私ならば、いつか着たいからと、もったいながって着物を切るなんてことはできませんでした。
でも、自分の残りの年月を考えると、着ない着物をしまっておくより、使ったほうがいいやと考えるようになりました。
それでお試しで袂を切って日常づかいにしてみたのです。

 

本当を言うと、まだ着物を着たい気持ちはあるのですが、日常で着るとなると手入れが面倒です。
手持ちの着物を作務衣みたいにして日常着にしたい気持ちもあります。
残念ながら、私には着物をリメイクする技術はないので、これからおいおい覚えていきたいと思っています。

外出着は無理かもしれないけれど、自分の家着くらいは自分で作れるようになったら楽しそうです。
とりあえず簡単なものからチャレンジしてみます。

 

我が家のテレビは地上波のみ

 

GWの過ごし方で家でゆっくり映画でもみて過ごすというのもよさそうですね。
最近、有料配信の映画の数はすごくて、観てみたいなと思うことがあります。

 

ところで、映像の有料配信がいろいろありますが、我が家は地上波のみの契約です。
衛生放送すら入れていません。

 

数年前まではブラウン管テレビでした。
買い替えで薄いテレビにしたときは、大きさと場所を取らないのに感動しました。

もともとテレビはあまり見ず、ビデオを見るために置いていただけでした。
観ていたのは何か大きなニュースがあった時くらいでしょうか。

20代まではバリバリテレビっ子だったのですがね。
私が子供の頃、面白いテレビ番組が多かったような気がします。
特に海外物は夢中でしたね。
スタートレックのような有名どころを別にしても、プリスナー№6とか、タイムトンネルとか。
コロネットブルーの謎だったかな、結末がわからなくて残念でした。

 

友人達と話していて、時々海外ミステリで面白そうなのがある時は、衛星放送を入れたいなと思ったりするのですが、入れるに至っていません。
もし入れたりしたら、テレビの前から動かなくなりそうです。

映画を観るのはハレの日の感じですので、やっぱり映画館で観たいというほかに、衛生放送や有料配信の動画をいれたら、何もしなくなりそうで怖いです。
受身の娯楽は楽ですからね。
それで楽しければいいのですが、私の性格では「無為な時間を過ごした。この時間をアレに使えばよかった」と絶対後悔する。

もう少し、自分をコントロールできるか、ほかにやることがなくなるまでは、お預けにしておいた方がよさそうです。

 

 

5月になりましたね。今年の浜松まつりは縮小実施です。

今年のGWは3年ぶりの行動制限なしということで、行楽地は人でにぎわっているようです。

私は早めに春のお出かけをしてしまって、GWは家でのんびりしています。
毎日がGWの隠居の特典です。

それでも気持ち的にGWのわくわくする気分は味わいたいなと思うのです。
浜松は5月の連休には浜松まつりがあってにぎやかです。
通常ならば、祭り気分になっているところです。


昼間は中田島での凧あげ。
夕方から御殿屋台の引き回し。
屋台引き回しが終わると初子のお祝いの練があります。
今年は「凧あげと屋台は町内引き回しのみ、練は禁止」となりました。
まあ、町内引き回しはやるので、祭り気分を味わえはするでしょう。

それにしても屋台の町中の引き回しを見られないのは残念。
きれいなんですよ。

 

過去撮りですが。
こんな屋台が80台ほども町中を動きます。
若いころはそんなに興味はなかったのですが、年をとってからは祭りの屋台の引き回しを見るのが楽しみになりました。
思い出を目に焼き付けておきたくなったのかもしれません。


来年こそは本来の浜松まつりが行われるといいと思っています。

たまには落語もいいもんだ

目を休めようと思いましたが、好きなことは目に負担を掛けそうなことばかりです。
それでも、昼間は山の方にタケノコなどの買い出しに行き、タケノコを茹でたり蕗を量ったり、片付けしたりで過ごしましたが、夜をどうしよう。

いつもは本を読んでいますが、本もテレビも目に良くなさそうだし、寝るには早いしどうしようと思っていたら、ツレが

「落語、聴く」と言いました。

 

落語、久しぶりです。
忙しくなる前は、ツレと二人で時折落語会などにも行っていました。
地方だと、定番の寄席はありません。
ホールの落語会だったり、自主的にやる物だったりします。
特に、新居の本果寺でおこなわれる寄席は好きでした。
もう30年以上続いている寄席の会です。
「寄せ集めの会」というところが主催して、本果寺の庫裏でおこなわれます。
最初は滝川鯉昇さんでしたが、この頃はいろいろな咄家さんです。
本果寺は講談の会などもやっていて、ご住職がお好きなのでしょう。
知人に教えられたこの会で私は落語を初めて聞きました。



CDなどももっていますが、それはだいぶ聞きこんでいるので、ネットで公開されているものから聞くことにしました。
今はいろいろな落語家さんの噺をネットで聞けるので便利です。

お茶と茶菓子を用意して、開演です。

ツレの選択で、小さん師匠の「たぬき」を聞いてみました。
それから「ちはやふる」があったので聞いているうちに、いろいろな落語家を聴き比べてみようということになり、聴き比べになってしまいました。
ネットって、こういうことが簡単にできるのですごいです。
談志、志ん生、小さん、鯉昇、小三治、それから初めて聞く若い落語家さんたち。
同じ演目でも、咄家さんによって変わります。
それを聞き比べるのも楽しい趣向でした。
ベテラン勢は噺の世界をつくるけれど、若い人は噺をしているという感じなのも面白かったです。
落語は基本、年季がいるんだなと思いました。


昨日の夜も、落語を楽しみました。
志ん朝で2席
「火炎太鼓」「おみたて」です。


夜のお家落語会、定番になりそうです。

 

高齢期と健康、好きなことと目の健康を共存させるのにはどうしたらいいのかな。

高齢期に入ると、よろずの事、健康と相談です。
一昨日目の奥の方がツキンと痛くなりました。
眼精疲労でしょうか。
依然と同じことをしていても、体は同じでないので、何らかの反応があります。

一昨日の夕方から、目を休めて様子を見ていたら、痛みは薄れてきました。
それでも、昨日は一日スマホもパソコンもテレビも見ず、細かい作業もやめて、本を読むのもやめてみました。
今日も、午前中は目に負担をかけないように気を付けていました。
痛みはなくなりましたが、これは、体から、目の健康も考えろよと連絡が来たのかもしれません。


昨日は時間をどう使おうかで困りました。
作業部屋の整理をしなければならなかったので、それをして過ごしました。

 

しかし、自分の好きなことをしていると、細かい作業や、PC画面やスマホの小さい画面を見たり本を読んだり、目を酷使しています。


これは目のことも考えて、過ごしていかなきゃいけないなと思いました。
好きなことをやめるのも嫌ですし、目も大切だし。
好きなことと、健康を共存させるためにはどうしたらいいのでしょうね。


老いの準備 エンディングノート

まだ死が身近という感覚はありませんが、何が起こるかわかりません。
でも、なにかあった時に、通帳やクレジットカード、保険関係、そういうものの所在が明確でないと残された者は困るでしょう。
配偶者が生協の出資金に思いが至るとはおもえません。
なにかあってからじゃ遅いし、弱って気力がなくなってからでは作成する気にもなれないでしょう。

 

何かあったときに、そうしたことで家人が困ると嫌だなと思います。
準備しておいた方が自分の落ち着きそうです。
そこでエンディングノートを準備することにしました。

 

エンディングノートには自分史や人生で大事にしてきたことなど記載する項目もあります。
記載することがずいぶん多いことに、ちょっとうんざりしました。
でも、この際自分を振り返ることは、今後も自分らしく生きるということがどういうことかを見つめるために意味があることでしょう。

 

 

自分に何かあった時の不安を解消し、どのようにしてほしいかという希望や親しい人へ伝えたいことを明らかにしておくことは、必要なことでしょう。


介護について誰に介護してほしいか、介護費用などをきちんと考えることは、家族との関連性や自分が準備しておかなければならないことの洗い出しに役立つでしょう。。

 

老衰末期での自然死は、栄養や水分の補給ができない方が楽に行けるという学術的知見があります。
痛み止めなど必要なことだけで、余計なことはせず、平穏死を望んでいることなどは知っておいてもらうことは大切です。
なかなかかけないこともありますが、かけるところから書いていけばよいでしょう。

 

あってほしくないとは思いますが、認知症になった場合、本人の意思がわからず家族や介護の現場を混乱させないように少しでも手掛かりを作っておくことは必要でしょう。

 

こうしたことの希望を一つ所にまとめておけば、役に立つこともあるでしょう。

市販のエンディングノートをみていると、いろいろ書くことが多くて大変です。
すぐには完成できないでしょう。
でも、これを考え、考え記入していくことで、自分の気持ちも明らかになりそうです。

 

以前ブログでみて気づいたのですが、気持ちは変わることもあるし、状況も変わります。
エンディングノートは更新しなければならないもののようです。
そこで年1回は見直しをすることにします。
12月の終わりに1年の見直しをすると振り返りにもなっていいのではないでしょうか。