野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

晩年の心得。あきらめる覚悟って必要でしょう。

年をとる、特に晩年になり体が不自由になってきて暮らすには「覚悟」と「あきらめ」がいると、最近思っています。

 

叔母は脳梗塞で入院し、現在はリハビリ病院に移ってリハビリ中です。
言語は戻りましたが、まだ歩けません。
リハビリ病院に入院して1か月以上たったので今後について医師との面接がありました。

ちょうどその日、私は熱を出していたので叔父に変わりに行ってもらいました。
医師は施設をすすめたようですが、叔母がどうしても家に戻ると言い張り、いったん家に戻る方向で話が進みました。

家に戻るとなると、車いすでの生活です。
3DKの集合住宅ですから独り暮らしには十分な広さです。
ところが物が溢れています。
叔父が業者を依頼していらないものを捨て、リフォームをすることになりました。

しかし叔母は、「あれは残しておいてほしい。これも残しておいてほしい」といいます。
それでは車いすで動く動線がとれません。


叔父が切れてしまって、どうしても残したいものだけ付箋を貼っておいてほしい
それ以外は捨てると宣言しました。


リスクがあっても家で暮らしたいというのならそれは叔母の判断です。
自分の人生ですから、自分の生きたいようにする。
それは構わない。
でも、他人ができるのは手続き的な事だけです。

 

様々思いを残しているというのは理解できます。
しかし、多くの場合両方望むことはできません。
何かを選択し、何かをあきらめることが必要です。
それは、人が変わってあげられるものではありません。
なのに叔母は、私に決めてほしいというようなことを言い出しています。
「できない」と断りました。

 


来週、医師、リハビリの技師、ケアマネと叔母と叔母の家を見に行くことになっています。
その時、残しておくものに付箋を貼ってもらいます。

 


そして再来週、退院にむけての医師との面接です。
本当のところ、叔母以外は、脳卒中の危険性や嚥下に関する不安もあり施設入所を望んでいます。
今後どうなるかは、まだはっきりしませんが、なるようにしかなりませんね。

 

叔母の様子を見ていると、自分の老後について考えざるを得ません。
いろいろな欲を少しづつあきらめていくなど、今からできる事をして、覚悟を決めていくことの大切さを感じています。