叔母の所に行ってすることは、主に様子の確認と話し相手になることです。
うわさ話や昔の思い出が多いです。
それを聞いていると「あれぇ」と思うことがあります。
「それ、事実と違うし」ってね。
もちろん、叔母にそんなことは言いません。
叔母は気持ちよさそうに話を続けます。
母に関してもそういうことはあって、その時はつい
「違うよ。その時はこうだった」といってしまいました。
自分に都合のいいように話が変えられていて、腹が立つこともあったからです。
虚偽記憶っていいます。
でも、嘘を言っているわけではないのです。
本人たちは間違えたとも思っていないし、それが事実だと信じているのです。
認知心理学の本を読んでいると、記憶は正確に情報を記録するものじゃないのだそうです。
記憶は、外界の情報を受動的に貯蔵するのではなく、自分のスキーマに新規の情報を取り込み、積極的に新しい知識を再構成するものだそうです。
何のこっちゃ?
ぶっちゃけて言うと、自分の中の価値観や知識のフィルターをとおして、頭の中に貯めて置くってことですかね。
自伝的記憶は主観が入りやすいので特に変わることがありえるようです。
記銘した内容は様々な影響をうけ変化し、再現するときにも、再現する状況の交互作用に影響されます。
インプットの時にも貯蔵中もアウトプットの時にも書き換えの可能性は十分あります。
特に主観的影響を受けやすいものは変わりそうです。
記憶は、あいまいで時には本人も気づかないうちに、書き換えられることがあるけれど、記憶を書き換えることで現実に対応しているので、悪い事とは言えないようです。
時々、「やりすぎだよ」と腹の立つ人もいますが。
記憶力がいい人ってあこがれていたのですが、あまりに正確な記憶力を持っていると大変なことになるようです。
そういう記憶の持ち主の研究事例があります。
情報が記憶として鮮明に記録され過ぎると、複数の情報をまとめたり、共通する情報を取り出したりすることができないのだそうです。
その結果普通の生活すらままならないような事態になるようです。
コンピュータとは違うんです。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」なんですね。
ひるがえって自分の記憶、特に思い出はどうでしょう。
自分に都合よく変えてしまっているものがあるかもしれません。
今、ここにいる自分だけが確かなものなのかもしれません。
でも、細かいことを言わなければ、自分の人生、こんなものだという記憶は、おおむねあっているでしょう。
記憶って不思議です。