親や叔母の生活サポートをしてきて思ったことがある。
60代、70代はそこそこ健康ならばよいだろう。
毎日の生活は自分で何とかなる。
でも、何とかならない時がいつか来る。
本当に自分でできなくなったら仕方がない。
人のお世話になろう。
それでも、出来るだけ自分で頑張っていきたい。
人の世話になるということは、自分の自由になる領域を相手に渡すことでもあるから。
足が不自由になっても車いすで動けるならば、車いすを使って家事もしたい。
そういう生活ができるためには、環境を整えていく必要があるだろう。
で、考えたことがある。
生活は衣食住が基本だ。
そのうちの住について。
部屋はガランドウがいい。
必要な物は腰高以上に配置されているのが望ましい。
高齢になると、しゃがんだりする動作ができなくなる。
なので腰高くらいに物が配置されていると取り出しやすい。
部屋はガランドウがいいというのは、移動がしやすいし、転ぶ危険を避けるためでもある。
掃除もしやすいし、維持もしやすいだろう。
なのに、多くの高齢者の家は物が多い。
親や叔母の家もそうだ。
周りの高齢者を見ても、もう使わなくなったり、必要もないのに棄てられないものが多すぎる。
掃除もしにくいし、動ける範囲も狭くなる。
母や叔母など、雑然とした部屋で椅子やベッドで生活することになる。
私は、車いすで動けば、目線も変わるし、ちょっとした家事もできるんじゃないかと思ったりする。
でも、物が多すぎて車いすは使えない。
どうせ使わないし、捨てちゃえばいいじゃないかと思うものが、結構ある。
そうしたら、スッキリするし、暮らしやすいんじゃないかと思う。
でも、体が動かなくなってから、整理をするのは大変だし、気持ちの問題もあるだろう。
ほかの人に、こちらの気持ちを押し付けることはできない。
そこで思った。
私は、体の動くうちから、10年後に備えて環境を整えていくか。
私は物が好きな質なので、一度に断捨離は難しい。
だから、10年かけて断捨離をしていこうと思う。
たぶん、趣味関係はなかなか捨てられない。
生活のハリでもあるし。
それは、私がダメになった時に一気に捨てられるように整理しておくことにする。
今までは、飾っておくだけで使わなかった食器などもどんどん使って、飽きたり壊れたりしたら処分していこう。
椅子や布団など、年齢に合わせて買いたいものも出てくるだろう。
そういうものは、一つ買ったら一つ捨てる。
生活に必要な物は、ごくごく少なくしていくつもりだ。
その為に、年取った時にも必要な物をリストアップして、それに沿うようにコツコツと断捨離を進めていく予定だ。
最終的には、ガランドウの部屋と、取りやすい棚に置けるだけの物で構成された家ということになる。