野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

衣替えの季節、ふと、わたしのおしゃれについて考える。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよくいうもので、彼岸を過ぎたころから涼しい日が続くようになりました。
今朝は半袖では寒く、上着を着ました。

 

この時期着る物には困ります。
朝夕は涼しくても日中暑いということは、ままありますので、まだ完全に長袖に切り替えることはできません。
しばらくは半袖で羽織ものを着るということになります。

 


仕事をしていたときには、エアコン対策に重宝していたハイネックの半袖Tシャツ。
家にいるときは首筋まで覆うと暑くて出番がなく、処分しようかなと思っていたのですが、ちょうどいいような気がします。

この時期の羽織ものにジャケットが多いのは堅苦しいような気がしますが、着倒してよれよれになればいい感じになるかもしれません。
ミレーの「種を蒔く人」という絵、あそこに書かれた農民はジャケットを着て種を蒔いていたと記憶しています。
農作業にジャケット、いい感じだなと思ったような気がします。

 


洋服ダンスを開け服があふれている状態をみると、何とかならないかなと思います。
働いていたときのように、収入もありませんから、気軽に買ってみようというわけにもいきません。
ならばあるものを使い倒そう。

 

いままで、ずぼらでオシャレとかいう意識はあまりなかったのです。
基本、身だしなみが大事という意識です。
でも、これからは限りあるもので、自分が心地よいと思えるスタイルを整えていく生活です。

 

手持ちの物を活用するのが基本です。
これって、意外と楽しい事かもしれません。
手持ちの物をどうやって着ていこうと考えるのは、頭の体操になるでしょう。
少し手を加えたりして工夫していくことは楽しそうです。

 

私はオシャレは年季だと思っています。
いつもオシャレを意識して考え続けた過程の中でその人のセンスは磨かれる。
だから、それを意識してこなかった私が急にオシャレさんになれるわけはありません。
体形もありますしね。
でも、自分の頭で意識して考えるようになれば、多少はましになるかもしれません。

 

私の希望としては、
着心地がいいこと
動きやすいこと
スッキリして何気ないけれど、ちょっと私の個性が出ている
ということです。

外観はその人の生きる姿勢を示す部分もあり、社会を意識するのは必要だと思います。
でも、60も後半になってまで外観に関して、人の目を基準にするのは「なんだかなぁ」という気がします。
私は、外から見てオシャレであるよりも、自分がオシャレするという行為を楽しめればそれでいいんだろうと思います。
みっともないのはイヤだけれど、私は自分が満足できればそれでいい。

まあ、オシャレという遊びを楽しむスタンスですね。
ずぼらな私のことですから、大したことはしませんが。