野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

キャッと叫んでろくろ首 (わたしの気持ちの切り替え方)

夜寝床に横になっているときに、過去の恥ずかしい言動を思い出し、恥ずかしくて、飛び起きて、いたたまれない気持ちになることがある。

そんな状態のことを、
「キャッと叫んでろくろ首」と、吉行淳之介のエッセイだったと思うが読んだ。

何となく雰囲気がでていて、言い得て妙だなと思っている。

なぜあんなことをしたのか、恥ずかしい。
でも、やったことは取り消せない。
どうしようもなくて、身の置き場がない。

 

私は、そんな時は、それ以上余計なことを考えないようにして、ひたすらその状態が落ち着くのを待つ。

でも、余計なことを考えないようにするって、意外と難しい。


その為の方法として、私は自分の体の状態に意識をフォーカスする。
恥ずかしいことから、意識を引っぺがして、自分の体の内側を見る。
すると、そういう時は、胃がむかむかしていたり、こめかみがずきずきしていたりする。
その感覚に、意識を集中する。
感覚は体内を移動する。その体内の感覚を追い続ける。
平凡な人間は、聖徳太子と違って、一つのことしか考えられないので、そうこうしているうちに落ち着いてくる。
落ち着くと、いたたまれない感情も収まり、次に移れる。


いたたまれない時だけでなく、不安な時、腹がたった時など、ネガティブな感情に流されそうなとき、使う。
そうして、不安や怒りなどの再生産を止めて、落ち着くようにする。
放っておくと、不安が不安を呼んで、どんどんおおきくなるから。
資格試験の面接の順番待っている時とかも、よくやった。

 

社会生活を送っていくうえで、気持ちの切り替えが必要な時はままある。
気分の転換の仕方を、用意しておくことは、社会人としては、必要な技術だ。
そして、気分の転換の仕方は、人それぞれなので、用意できるのは自分だけだ。
これを読んでいる方は、ブログが気分の転換の一つの方法だろう。
音楽を聴く、運動をする、何かを作る。
色々ある。

 

フォーカシングは、私の気分の転換の技術の一つだ。
ジェンドリンという心理学者が開発した、フォーカシングという技法を、簡略にして応用したものだ。
結構役にたった。


ところで、今は聖徳太子って言わないそうですね。
厩殿御子というそうです。
千年以上も親しまれた名前を変える必要があるのか、私は疑問です。