野良の覚書

シニアおばちゃんの日常雑記 まだまだ元気

映画「アメイジンググレイス アレサ・フランクリン」見て思い出した。

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映画を見てきた。

アメイジンググレイス アレサ・フランクリン

1972年アレサ・フランクリンのニューテンプル・ミッショナリーパブテスト教会で行われたライブの記録映画だ。
このライブアルバムは300万枚以上を売り上げた伝説のライブだ。
観客はほとんどこの教会の信者たちだろう。
進行はジェームズ・クリーブランド師。
技術的トラブルのため未完のまま上映されることがなかったが、テクノロジーの発展により、完成し上映となった。

監督はシドニー・ポラック

全盛期のアレサ・フランクリンのゴスペルなんだから、素晴らしくないわけはない。
宗教とは縁遠い私でも十分楽しめた。

ただ、宗教と縁遠い私は、映画を楽しみながらもつい考えてしまった。

 

見ていて、観客というか、信者たちとイエスキリストとの距離の近さを感じた。
エスは友達で世の中はつらいこと、苦しいことがあるけれど、イエスにゆだねようって。神様を信じて、私は幸せだって。牧師さんもずいぶんくだけている。

うらやましいような感じだ。

 

学生のころ宗教に興味を持ったことがある。
興味を持ったというより、生きるのが重苦しいような感じで、なにかに寄りかかりたかった。
それで、宗教や哲学を(ちょこっと)勉強した。
友人に誘われて教会に行ってみたりもした。

で、わかったことは、一神教は私には向かない。
理由は簡単。

一心に信じきれない。

 

神様を信じないわけではない。
何か未知の存在入るような気がするし、神社に行けばお参りもする。

 

見たことなくても信じていることはたくさんある。
科学の領域などそんなのであふれている。

でも、神様を信じるのは、科学を信じるのとはちょっと違う。

科学は法則は持つが教義を持たない。
教義はトップダウンだ。それを信じ切れるか。
多くの一神教の、他宗教への非寛容さも、感じている。

 

神様はいるかもしれないけど、私は見たことないし、それなら自分がいると感じられるまで、特に特定宗教とはかかわらずに、漠然とお天道様に感謝して暮らしていこうと思った。

 

でも、未練がましく、最終的にすがる存在がある人は、うらやましいなぁと思う。
そんなことを想いながら、映画を観ていた。

 

現在の私は、誰かに寄りかかるより
「己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ、良く整えし己こそまこと得難き寄るべなり」
このスタンスが気に入っている。 
少林寺拳法やっている人なら知ってますね。稽古前に必ず唱和しますから。
法句教の一説です。

 

追記:観客の中に、若かりしミック・ジャガーがおったわ( *´艸`)